社会をより良く
変えていく。
ずっと抱いていたその思いはここで実現できる。
2016年入社
インキュベーション
T.Ishikawa
学生時代に考えていたこと
不便をなくし、身近な人を幸せにしたい。
そのためのサービス開発にも挑戦したい。
大学で専攻したのは土木工学。社会基盤を築き上げるような、スケールの大きなことを手掛けたいとこの学科を選んだ。主に地盤の研究に従事し、大学院時代は論文も数々発表した。
一方、研究以外にも打ち込んだことがあった。世の中の不便をなくすような新しい仕組みを創れないかと考え、実際に形にしたサービスもある。これを企画したのは、私の祖父母を想ってのことだった。私の祖父母は九州の田舎で暮らしている。交通アクセスが悪く、日常生活にも支障をきたす辺鄙な場所だ。そうした地域で暮らす人たちが、地理的なハンディキャップを乗り越えて、自由に能力を発揮して活動できるような社会を創りたいと常々考えていた。それを実現すべく、大学内の優秀な仲間に声をかけて、クラウドソーシングサービスなどのアプリを開発。企業に売り込みに行ったこともある。
当時の私を動かしていたのは、「まずは自分の半径5メートル以内の身近な人を幸せにしよう。その積み重ねがきっと社会を変えていくはず」という思いだ。将来に向けても、社会が抱える問題を解決していく仕事がしたいと考えていた。専攻していた土木工学は社会インフラそのものであり、社会が抱える課題を解決していく分野でもある。しかし、若いうちからアカデミックの世界で専門領域を突き詰めていくのは、少し自分のやりたいことにそぐわないように感じていた。もっと幅広い領域に関わって横串で社会の構造を変えていくことができる、そんなポジションを探していた時、シンクタンクやコンサルティングという業態があることを知った。
私の就職活動
日本総研のインターンシップに参加し、
一気にここで働くことに魅せられた。
当初は社会課題解決を担う公務員や金融関係を志していた時期もあった。しかし社会課題の解決を担う上で、民間のシンクタンクやコンサルティングファームのほうが関われることの幅が広そうだと考え、国内の大手数社を検討。その中で私が注目したのが日本総研だった。調査やコンサルティングのみならず、自ら事業を創出していく「インキュベーション」まで手掛けていることに大いに興味を持ち、インターンシップに参加。そこで味わった経験が私の進路を決めた。
インターンシップ中、複数のコンサルタントが入れ替わりで我々学生のことを手厚くフォローしてくれたことも印象深かった。休憩時間には雑談にも快く応じてくれ、本当に楽しく仕事をしているのだと肌で感じた。あるコンサルタントからは、「うちはやりたいと思えば、自ら手を挙げるチャンスがたくさんある会社だよ」という話を聞いた。役員からは「日本総研は社員に『これをやれ』と強いることはしない。なぜなら、やらされる仕事は個人の持つ能力が100%発揮されることはないからだ。しかし、やりたいことに自発的に取り組むと100%をゆうに超える」と。それらの言葉に当時とても惹かれた。事実、入社してみるとその通りだった。自分の希望が通り、インキュベーションを手掛ける創発戦略センターに配属となったのだが、社会に向けて自ら情報発信したいとアピールすれば、1年目から当社が発行する書籍の執筆に関わることができた。やりたかった事とはいえ、当時の自分の器を超えた仕事。最初から上手く進むはずは無く、書き上げる傍から何度も原稿を上司に直された。ゴールが見えず、心が折れそうになる時もあったが、自分が手を挙げた以上はやり切りたい。任せてくれた上司の期待にも応えたい。その一心で取り組んだ。仕上がった書籍に自分の名前が入っていたのを見たときはとにかく嬉しかった。正に自分の能力を100%以上発揮できた仕事だったと思う。
日本総研での「成長実感」
最先端の技術で、最重要の社会課題を解決。
世の中をリアルに変えていく経験の連続。
入社後、最初に手掛けた案件は大手製造業の成長戦略策定だった。チームは上司を含めて3名。新人だろうと私が担うべき役割は大きい。初回のお客様との打ち合わせでは、先方のトップが直々に参加され大いに緊張した。短期間で難しいテーマを次々と調査して戦略立案のベースを作るという仕事だった。相当苦労したものの、懸命に取り組んで何とかそれを成し遂げることができた。おそらく上司は、新人の私にあえて重い仕事を託したのだと思う。おかげでコンサルティングの真髄に早いうちに触れることができた。
1年目の後半からは、まさにインキュベーションに関わるチャンスを掴んだ。日本総研が主導し、様々な企業を巻き込んで「自動運転」のサービスを実証するプロジェクトが立ち上がり、私もそこに加わった。
1年目が終わる直前には、自動運転関連の調査案件のプロジェクトリーダーを務めることとなった。プロジェクト内容について当時の上司と話し「この案件、やってみるか」と聞かれ、二つ返事で「やらせてください」と答えたことがきっかけだった。プロジェクトを進める担当責任者となったことで、プロジェクト全体の管理、クライアントや現地関係者との調整、調査設計、調査実施後の報告書作成など信じられないほど様々な業務が一気に降りかかってきた。もちろん、常に上司がサポートしてくれる体制であったが、業務責任者はあくまで自分ひとり。日本を北に南に飛びまわる生活が続いたが、最後の納品まで無事終わらせ、クライアントに御礼を言われたときはなんとも言えない嬉しさがこみ上げた。今でもそのクライアントとはお付き合いが続いている。また、その延長で自動運転先進国のシンガポール視察にも参加でき、政府の要人らと直に意見を交換する貴重な機会も得ることができた。
昨今、地方の衰退が問題視される中、自動運転による新しい交通インフラの構築は、地方創生にもつながる重要なテーマ。最先端の技術を駆使して、最重要の社会課題を解決する取り組みである。今も引き続き自動運転の実証実験に取り組んでいるが、事あるたびに私の脳裏には祖父母の顔が浮かんでくる。学生時代に比べて次元は遥かに高くなったが、自分のアクションで身近な人から幸せにしていきたいという思いは変わらない。ここで世の中をリアルに動かす力を身につけていき、社会をより良く変えていきたい。それが今の私の人生の大きな目標だ。