国際協力に関心を寄せていた私。でも
真に解決すべき問題は足元に潜んでいた。
学生時代、私が強く関心を持っていたのは国際協力です。小学生の頃、ユニセフの募金活動を手伝ったことをきっかけに、世界には貧困に苦しむ人たちがたくさんいることを学び、子供心にずっと問題意識を抱いていました。将来は国際協力に携われればと、大学では英語で経済学を学ぶゼミに参加し、開発経済を専攻。途上国の発展のためには子供たちの健全な発育が欠かせないとの思いから、ベトナムの農村に赴いて母子の健康状態を調査し、乳児の死亡率を下げる施策を研究する活動などにも取り組みました。
また、ゼミでは韓国の延世大学との合同研究も行っており、ソウルに足を運んで現地の学生たちとディスカッションする機会もありました。彼らはみな志が高く、学ぶことに貪欲で、国を背負っていくのだという気概にあふれていました。そうした姿に大いに刺激を受けて、私も意識が変わり始めました。これまで世界にばかり目を向けていたが、果たして日本はどうなのか?当時はちょうどリーマンショック後で、格差による新たな貧困問題がクローズアップされるなど、日本の社会に歪みが生じていた時です。足元に実は深刻な問題が潜んでいることに気付き、それを解決したいという使命感のようなものが湧いてきました。就職にあたっても、まず母国である日本をより良く変えていくことに貢献したいと、そう志すようになっていったのです。
社会課題を調査研究し、この国に貢献したい。
それを必ず実現できる場が日本総研だった。
日本が抱える問題を解決するためは、やはり政策立案を担う立場に就くべきではないかと、当初は官公庁に進むことも考えました。そこで、ある中央省庁のインターンシップに参加したのですが、求められる業務が多岐にわたるため、一つの問題にじっくりと向き合うことができるのか疑問を感じました。そして興味を持ったのが、社会経済に関する諸問題を調査研究して発信するシンクタンクです。なかでも日本総研に惹かれたのは、部門別採用が行われていたからです。当時、部門別採用を実施しているシンクタンクはほとんど無く、選考を通過し入社できれば確実にエコノミストの道が拓けることは大きな魅力でした。
国内のシンクタンク各社は「リサーチ」と「コンサルティング」の両方の機能を有していますが、ほとんどの会社が一括採用で、入社後にコンサルティング部門に配属される可能性もありました。私としては顧客の課題に個別にアプローチするコンサルティングよりも、社会的な問題を自ら調査して解決策を考えることを究めたかったのです。日本総研なら、私が望んでいる仕事に必ず就けるチャンスがある。さらに、新聞には毎日のように日本総研研究員のコメントが掲載されていたことから、世の中からも「一目置かれたシンクタンク」との印象も持っていたためです。面接の場では、日本の現状を憂慮し、格差による貧富の固定化の解消などに取り組み社会の役に立ちたいという思いを強く訴えました。そうした姿勢が認められて採用されたと感じています。
著書も出版。ニュース番組にも出演。
私が発した意見が、政策にも影響を及ぼす。
入社後は、調査部マクロ経済研究センターに配属されました。エコノミストとして、各種の公表データからマクロ経済の動向を調査分析してレポートすることからキャリアをスタートさせました。当初は日本経済を担当していましたが、英語力を見込まれて3年目からは欧州経済、そして6年目から現在に至るまでは米国経済を担当しています。私は日本の社会保障政策に関わりたいと考えていましたが、欧米のマクロ経済分析で海外の政策について調査していくうちに、様々な視点から社会保障のあるべき形を考えられるようになっていきました。こうして若いうちにいろいろな経験を積ませてもらえるのも、当社の魅力だと思います。そして、日本総研の調査部は少数精鋭で非常にフラットな組織である点も大きな魅力です。上意下達ではなく誰とも対等に議論ができ、若手でも自分でテーマを見つけて独自のレポートを発信することが奨励されています。私も以前、米国で所得の二極化が急激に進み、それが政治にも影響していることを自らテーマに選びレポートを執筆しました。最近では新聞紙面で取り上げられた私の論考を見た出版社の方からオファーをいただき、自分の著書を出す機会にも恵まれました。本のタイトルは、「本当にわかる世界経済」です。そこではマクロ経済の話だけでなく、先進国が所得の二極化などの問題を抱えていることを私なりに提起しました。途中産休を取得することにもなり大変な時期ではありましたが、なんとか書き上げることができ、これまでの仕事の集大成にもなりました。こうした活動がテレビ局の目に留まり、ニュース番組にコメンテーターとして出演の機会にもつながったことは、エコノミスト冥利に尽きる成果でした。
20代のうちから、自分の考えを自分の名前で直接社会に向けて発信できる機会など、そう得られるものではないと思います。日本総研ならそれが果たせる。最近は私のレポートが政府にも取り上げられ、省庁の白書の中などに反映される機会も増えてきました。自分が発信したことがわずかながらも政策に影響を与えていけることも実感できるようになりました。今後は私が志向している社会保障の分野の知見をさらに深め、格差問題に対する私ならではの処方箋を考え、果敢に提言していきたいと考えています。