ヘルメットをかぶってビルの中へ
システムって、何だ?誰のためにある?
入社3年目。三井住友カードでコールセンター専用のビルを新しく建設することになり、私はITプラットフォーム構築の責任者に抜擢された。クレジットカードビジネスにおいて、コールセンターは顧客とダイレクトにつながる、非常に重要な戦略拠点。いきなりビルの現場に立たされた。話す相手は、百戦錬磨の現場監督たち。「君、電源が何ワット必要か知らないでサーバの設計してるの?」。半ば呆れられながら、ファシリティのイロハを習う。その傍らでは三井住友カードの担当者たちと、コールセンターの内部構造について話し合いを重ねた。「チームで円形に座ってもらって、オペレーター同士、お互いの顔が見えるようにしたい。どう思う?」。カードビジネス全体の将来像を実現できなければ、いくら素晴らしいIT環境を提供しても、意味がない。担当者と膝を突き合わせ、このビルのあり方を一つひとつ考え、悩みながら作り上げていった。その結果、当時では画期的なオペレーション専用ビルが完成した。担当者、ビルの現場監督。会社という枠を越えて、関係者全員で喜びを分かち合った仕事だった。
突然のリーダー任命、
手探りの中から得た自分流。
入社5年目。先輩たちが、当時急浮上した別の案件にごっそり異動することになり、サブリーダーの一人に過ぎなかった最若手の私がチームリーダーを務めることになった。周囲から見れば大抜擢なのだろうが、気が重かった。上司は自分以上に忙しく、手取り足取り教えを請うわけにはいかない。できるだけ自分で調べたり、隣のチームリーダーのやり方を盗んでみたりした。どうしても分からない時は、「教えてください」と社内を頼み込んで回った。とにかく何とかしなければならないと真剣だった私に、皆は手を差し伸べてくれた。このようにチームリーダーとしてのキャリアは、まさしく手探りで、自己流の方法で積み上げていった。
「だから周りがついてこない」
マネジメントという仕事を学ぶ日々。
私は若くして「次長」という多くの部下を束ねる立場になった。ストイックさを自覚しているわけではなかったが、なぜか周囲から『厳しい上司』と目されるようになっていった。
そんなある日、ある人に自身のマネジメントに対する考えを話したところ、ずばりと切り込まれた。「あなたがすごく優秀だというのは分かりますが、それでは周りの者がついてこないのでは?」。自分の頭の中で何かが崩れていくような感覚だった。私は自分自身でキャリアを切り拓いてきたという自負があった。しかしそれが仇となり、細かく指導しなかったことで、悩みを抱える部下の姿に気を留めることができなかった。仕事を通じたやりがいや達成感をメンバーに醸成することも仕事なんだ。この機会をきっかけに、私は組織のマネジメント方法をがらりと変えた。戸惑う部下もいたようだが、私が必死で変えていこうとする姿に共感してくれているようだ。今度はマネジメントという仕事を手探りで会得していこうとしている自分がここにいる。